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ラルクアンシエルが30周年を迎えた件について

どうも、むーむーです。

先日、幕張メッセラルクアンシエルの30周年記念ライブが行われました。

私はラルクファンであり、一時期はどエルと呼ばれてもおかしくない位生活の中心がラルクでした。

30周年に際して私の人生とラルクについて振り返っておこうと思ったので、ここに記しておきます。

もっと早くアップしたかったのですが。。。

またも迷走神経反射出てしまい体調が優れず〜。。。

 

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遅くなってしまいました。

イムリーにあげたいよね、こういうのはね。

 

出会い

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ラルクとの出会いは従姉妹経由でした。

私の父は8人兄妹であり、末っ子でした。

なので親戚がめっちゃいてます。

年の離れた従姉妹の内、1人はチェッカーズからのフミヤに夢中で、もう1人がラルクを初めとするビジュアル系(と呼ぶとラルクのリーダーであるTETSUYA氏にどつかれるかもしれないけど、当時は確実にそうだった。)に夢中だった。

 

なので私は運良くブルーリーアイズからラルクを知っています。

一生に出演番組を見た時、当時小学校低学年だった私は熱を出したんですよね。

hyde(小文字表記とします。ラルクなんで。)が美しすぎて衝撃すぎた知恵熱的なものだったんだと今でも思っているけれども、本当のところはよく分からない。(笑)

 

とにかく熱が出た。

 

そこから私とラルクの出会いは始まったのだ。

 

信じるものがある、という事

私の初めてのライブは、父に連れていかれたさだまさし

野外ライブだった。 あれはどこだったのか今では思い出せないけど、おじさん達が野外フェス状態で盛り上がっていた光景は今でもうっすら思い出せる。

 

ラルクの初めてのライブは、東京ドーム。

ドラマーの逮捕で活動休止をしていたラルクが復活するってことで、その時もう成人していた従姉妹に連れられて行った。

泣いたね。

泣いたんです。

今でもリンカネ(リインカネーション、そのライブの名前です)のDVDを見るとなけます。

 

こんなに美しい人と同じ時代に生また事に感謝したし、こんなにもラルクのために集まる人が、同士がいるということに感動したんです。

 

そして、もちろん楽曲や演出が好きでした。

いや、好きです。

詩的な歌詞が好き。

ダークな歌詞が好きです。

 

この人達を見るために、生でこの空間に存在するためにまた頑張ろうって強く思いました。

私の好きが詰まった聖域。

それがラルクのライブだ!っと強く感じました。

 

私にとっての一種の宗教みたいになります。

何があっても、唯一絶対なものが自分の信じるものが有るという確信。

そこから産まれてくる安心とそこへ向かおうとする推進力。

 

課金ベースですが本当に人生において絶対的なものって必要なんだな!と思いながら生きた日々でした(笑)

ぶれないから。

心の安寧を得ていました。

忙しいと他のことなんて見ていられないというのもあります。

今よりネットは発達していませんでしたが、私はラルクをおうのに忙しかった。

それでなくても田舎だったから。

そうすると、他のどうでもいいことが削ぎ落とされていってたんでしょうね。

 

小説の「推し、燃ゆ」 じゃないですがひとつ日常とは別の自分の世界が出来るんですよ。

 

しかし、そこからラルクはめちゃくちゃ売れるんです。

復活してからヒットヒット。 大ヒット。

そして皆さんご存知のHONEYがでて、そっからまた売れる。

 

会える機会は多くなるので私たち、どエルは忙しく充実した日々なんだけど、バンドがやばそうな雰囲気出してくる(笑)

ライブのMC殺伐としだす。

不仲説流れる。。。

そうすると私も揺らぎ始めます(笑)

 

しかし、各自ソロ活動を始めたり後輩バンドが現れてきてそっちを齧ったりとかして、自分の絶対的なものは守られてきました。

 

雪解けらしい雰囲気に

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そこから年月は流れ和解ってか雪解けってかそんな雰囲気になってきます。

2007年位からかな。

ラルクがまた動き始めて、ライブのMCなんかでも仲良しになってて(笑)

 

けどそこから、またhydeVAMPSに突っ走ってあれ?ラルクは?とかなるんですけど、先日の30周年になるまで、同窓会バンドと化して周年の時集まるくらいですが活動をしてくれています。

 

hydeが言ってたのですが、ラルクは大きな方舟で自分の意思だけじゃもう舵がきれるものじゃない、って。

 

それにはファンも含まれていると思うんです。

たくさんのバンドが解散してきました。 ラルクを好きでいる間。

でも、ラルクは解散しない。

ラルクと言う箱舟の仲にはもうファンも含まれてて、私たちを途中で放り投げない優しさを感じます。

 

そして同時に、リーダーのTETSUYA氏はこんなことも言っていましたね。

自分が始めたこと(バンド)なんで、自分で最後は決めたい、って。 確か。。。

これはロキノンかなんかの超ロングインタビューだったと思います。

曖昧ですがゆーてたのはゆーてたはず。

 

つまり、TETSUYA氏のおかげで私たちファンは大きな損失感に日々泣く必要もなく安心して振り向けばラルクはそこにいるよね、と暮らすことが出来るんですかね。

ありがとう、てっちゃん。

 

てっちゃん、って久しぶりに呼んだよ(笑)

 

人間関係にも大きな影響が

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追っかけをしてたらネットを介していろんな人と出会い、別れてきました。

私は被害ないですがチケット詐欺も、チケット代払わずとんずらこく人も見てきました。

何度も会う人たちとはネット上からリアルでの友人に。

そして今もプライベートで連絡取り合う人もいてます。

 

学生時代、新入社員時代の相談だってめちゃくちゃのってもらいましたし、結婚式に呼んだ呼ばれた関係の人だっていてます。

今自分が親になって、子供が自分と同じことしたら。。。

ネットで出会った人と会ったり、初めてあった日に泊めてもらったりマジでこえーからやめな!

って言うかな(笑)

 

でも、そこからかけがえのない思い出もたーくさんできてるからなぁ。

ある程度自由にやらせるかもしれない(笑)

ラルクがなければ知り合いにもなってないだろう人が沢山いて、それ自体が奇跡なんですよね。

 

やばい。

語彙力ないけど、やばいよね、っていつも思います。

そして、その人達のこと信用できたのはいつだって この人達もラルクが好きだから。

という共通認識の一致だけだったんです。

 

ラルク好き=仲間やん みたいな、悪そなやつはだいたい友達みたいな理論ですけど(笑)

それだけでネットでの出会い別れの中でも生き延びて来れてるんです。

 

 

行動力がレベチ

どエルになると、いや、どエル関係ないかな?

遠征行くぜ!派に限っての話ですね。

ライブでの遠征ってのがツアー始まると日課になってくるんですよね。

知り合いはツアー全通(全国ツアー全て参加し制覇すること)のために教師辞めてましたね。

以前記事でも紹介しましたが、マジでいそがしい。

 

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その分、予定を組む力めっちゃつきます(笑)

予測をたててチケットや移動手段、そして宿などブッキングして行く必要が有るので、節約と高速バスにめっちゃ詳しくなれます(笑)

 

私も夜行フェリー移動でゼロ泊3日とかふつーにしてましたね。

今なら出来ない。

若かった。。。。

でも、きき湯は常に持ってたかな(笑)

 

ラルクに戻るけど

ラルク30周年で、この記事を読んで泣けました。 

natalie.mu

hydeとTETSUYAがハイタッチ、かぁ。って。

記事にもありますが、結成時からのメンバーはこの2人だけなんですよね。

 

そう、ほんとにこの2人が出会ってくれて良かった。

てっちゃんがhydeをめちゃくちゃ誘って始めたって読んだことあるけど。

isという本で。 まだ実家に眠っています。

 

その運命があって良かった。

そのおかげで、子供ができるまではラルクを心の糧に頑張ってこれたし。

いろんなオモロい思い出出来たし。

めっちゃファンキーな友達にも巡り会えました。

ラルクを好きになって良かった。

それしかないです。

 

これから先、昔みたいにラルクが私の神になることはもうありません。

自分の守るものが出来たから。

でも、これからもずっとラルクが好きです。

街角でふとした時に聞こえてきた時に、あーこの曲の頃はこんなことしてたなぁ。って思い出す。

 

インスタやTwitterで友達の投稿見る度に元気にしてるんだな、って思う。

それくらい私にとってはラルクはもう日常になってて、そういう日常と同じレベルで好きです。

どうか、願わくばこれからも少しでも長くラルクのいる日常を過ごせますように。

 

今は子育てとコロナで移動出来ないし、 ライブにはなかなか行けないけど35周年には行けたら良いな。